貴布禰総本宮・貴船神社

貴船神社「水五訓」水の教え

京都・貴船神社(ご神水) 貴布禰総本宮・貴船神社

貴船社総本宮 貴船神社

貴船神社について(御祭神~アクセス)詳しくは別記事で紹介してます。

ご神水「水五訓」から学ぶ水の教え

京都・貴船神社(ご神水)

貴船神社(水の教え)

貴船神社の本殿前にある貴船山より湧き出るご神水の横に「水の教え」の立て札があります。

~水五訓~

一、自ら活動して他を動かしむるは水なり。

二、常に自ら進路を求めて止まざるは水なり。

三、自ら清くして他の汚水を洗い清濁※1併せ容るるの量あるは水なり。

四、障害に逢い激しくその勢力を百倍するは水なり。

五、洋々として大洋を充たし、発して蒸気となり雲となり雪と変し霰(あられ)と化し凝っては玲ろうたる※2鏡となる。而も(しかも)その性を失わざるは水なり。

※1…【清濁(せいだく)】 意味:清流と濁流=善と悪
※2…【玲(れい)ろう】 意味:美しい

(水五訓は、一部で黒田官兵衛(黒田如水)や王陽明の教えだと伝えられてますが実際のところは不明のようです。)


▼以下は水五訓の一部を分かりやすく自分なりに解釈したものです。

(間違ってるかもしれませんのでご了承を。)

三、自ら清くして他の汚水を洗い清濁併せ容るるの量あるは水なり。

【清濁併せ容るる量あるは水なり】→善も悪も(清流も濁流も)受け入れる度量があるのが水なり。と解釈。

五、洋々として大洋を充たし、発して蒸気となり雲となり雪と変し霰と化し凝っては玲ろうたる鏡となる。而もその性を失わざるは水なり。

【凝っては玲ろうたる鏡となる】→自らを写し出すような美しい氷となる。でしょうか。


~水五訓~(※独自解釈)

一、水は水であるだけでなく、草木・人・全ての生の源となり原動力となっているのも水である。

二、水は自ら流れ行く先を決め、絶えず流れ進んでいるのが水である。

三、水は善も悪も受け入れる度量がある、その中で汚水を洗い流し穢れを清くしているのも水である。

四、水は障害に遭遇した場合でも諦めず、百倍もの力を発揮し流れ進むのが水である。

五、水は自然の中で様々に変化し美しい姿になる。しかし、どのような形になっても「水」本来の性質は変わらないのが水である。

いかがでしょうか、こうしてみると教えの意味が少し見えてきたのではと思います。

この水の教えは人の精神の教えにもなっていますね。


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